就活が終わったのでここまでの大学院生活を振り返ってみる

一ヶ月ほど前に就活を終了しました。長かったけど短かったし、辛かったけど楽しくもありました。
 
「就活してる?」と聞いてくる人が結構たくさんいたのですが、何をしていれば「就活してる」って言えるんですかね。
 
企業研究だとか選考情報をネットで調べることだったら学部2年くらいのころからゆるりとしてたし、
インターンに参加することを言うなら長期休みの時に少し行っただけだし、
 
わたしの場合は「選考フローに入っている状態」を就活だと考えていました。
だからESを出してはじめて就活だといえるという認識でした。
 
今年は採用スケジュール変更で企業も就活生もさぐりさぐりな感じでしたね。
とりあえず、就職活動を中心にM1のあたまから振り返ってみようと思います。
 
4月
一人暮らしはじめると同時に大学院入学。このときは研究を将来の仕事にしたくて、研究室移ったので意気込みはかなりあった。しかし移った先の研究室は俗にいう放置系。そこにいる人間もかなり人間離れしていて…一ヶ月でかなり鬱になったがなんとか通えてた
 
5月
研究室は変わらず放置。この研究室・研究テーマで博士までいくのは無理だなと悟り。
 
6月
あまりに放置されるので就活について考えはじめる。学内で開かれるセミナーとか合説に参加する。GDセミナー行ってみたところ、そもそも低かった自分のコミュニケーション能力がさらにさらに低下していることに気づく。まあ一日中ほぼ喋らないから当たり前なんだけど
 
7月
唯一の話し相手だった彼氏にフラれる。不眠症になったり、なんでもない日に吐いたりしてた。今思うとよく耐えてたなと思う。
この時期にテキトーに出版・メーカーあたりのインターンに応募するも全部ESで落ちる。抽選という話だったけど、文章には自信があったのでガチで凹んだ。
 
8月
相変わらずフラれたショックは引きずっていて、かなり情緒不安定な日々。この時期の記憶がない。
 
9月
外資系消費財メーカーの選考で神戸に面接×2回。とにかく移動が多かった月。この面接が初めての就活面接となったわけだけども、日本語1時間、英語1時間のヘビー級だったので(圧迫で案の定撃沈)、他の会社でもこれよりはマシ!と捉えられるようになったのは良かったかも。笑
 
10月・11月
英語面接で全く単語が出てこなかったのを反省して、とりあえずTOEICを勉強。3週間ほど毎日20分勉強して、900点越えを達成。
ここで、かねてから行きたいと思っていたメーカーがまさかのES落ち。。。
ここで私の中から志望企業が消える。行きたい業界、行きたい会社がないということに直面。そこそこ有名な会社ならなんでもいいや…という思考になっていく。これは最後までそうでした。
 
12月
とにかく卒業するために研究テーマ変更し、ゼロから再スタート。 研究を頑張りつつ、就活コミュニティに入って就活仲間をつくり、コミュ力の低下を防ぐ。知人のすすめで外コンにエントリーしたことがきっかけでコンサルに興味持ち始める。コンサル就活としてはとてもスロースタートだったと思います。
 
1月
実験の合間に某コンサルのインターンにエントリー。GDをはじめてやって、自分が頭悪すぎて半泣きになりながら帰ってきた思い出が…しかしインターンには合格して、参加することができました。これは今でも謎だ。
 
2月
いわゆる自己分析を進めて、自分はお金稼ぎたいっていう願望が強すぎるということ、それと長期間(うん十年とか)のスパンで何かを作りたいとは全く思えなかったこと、その他もろもろの理由で研究職およびメーカーは志望から消えていた。
そしてコンサルのインターンに参加して、知的にもコミュニケーションでもレベルの高いメンバーと過ごせただけで感動してしまった。5日間泣きそうだったけど。自分が仕事や会社に求めるものがわかってきたし、コンサルの仕事はどちらかといえば向いている気がしてきました。
 
3月
滑り止めの中小企業から内定をもらう。これは自分がとりあえず安心するためと、過保護すぎる親を黙らせるためのもの。
ただ絶対したくない仕事ではないし、社長の考え方も好きだったので、ここよりいいところ行くぞ!というモチベーションにはなったかな。
このあたりから日系のコンサルがスタート。
スロースターターだったし、頭もあまり使ってこなかったわりには、2次~3次までは通過できた。何かすごい実績を持ってるわけでもないし(ガチでなにもしてない学生でした)、まだまだ相当なコミュ障発揮していた時期だったので、正直なところ大健闘だと思ってます。
 
4月
ここで、持ち駒が一度全部消える。コンサルは選考早いので。そして、滑り止めに考えていた企業の面接も受からなくなります。4月後半はとりあえず残りの、しぶしぶメーカーのESを書く作業に徹していました。あとは全く興味のない業界も受けてみたり。
研究室には週2くらいで、当番がある日とセミナーの日だけ参加していました。(ここは何も言われない放置系でよかったなと思った瞬間)
 
5月
前半は本当にモチベーション低くて、メーカーあまり興味ないけど、受けるしかないのかな。と考えていました。頭脳面というよりはコミュ障に起因する瞬発力のなさだとか、想定外の質問に対する慌てっぷりなどが落ちる要因になっていることもわかっていました。大学院に入るまではコミュ障もここまで重度ではなかったので、すべてを研究室のせいにしたくなってしまって、そんな自分も嫌で嫌でたまりませんでした。
そのほかにも、母親の過保護がひどくなったり、同じ学科の根暗な友人を励ましたらなぜかマウンティングされる事案が発生したり、
自分のことで悩みたいのに他人から言われる言葉にいちいち苛立っていました。
 
そんな状況を打破できたのは、日系コンサルでたぶん最難関であろう企業の選考でした。ここの選考はGD→GD→面接→インターンという形式なんですが、二回目のGDを行った後、その場で面接する人は呼ばれ、残りの人はお帰りくださいと言われる方式。
 
どうせ一回目のGDが通過できたのも奇跡!とか思っていたのに、二回目のGD通過して、30人位の人たちを置いて一人で面接に進んでいけたのは、根拠のない自信につながりました。(これ友達にいったらマウンティングになるんで絶対リアルでは言わないよ。結局面接で落ちたからみんなと同じだしね。)
 
いろいろな面接がうまくいき始めたのはここからでした。自信って大事だね。まだ持ち駒のあったコンサル全て合格して、あんなに取れなかった内定が一週間に3つきたりとか。そして入社先となる志望度の高い企業にも内定をもらえ、就活を終了するにいたりました。
 
 
6月に入って、就活終わったことを研究室の先生方に言いだせず、内定辞退にちょっとてこずったりもしていたので、1週間ほど休んでしまったわけですが、ようやく復帰したところです。
 
研究室は相変わらず放置だし、就活前となにも変わらないので、とにかく卒業のために、(今はゼロに等しい)データを積み重ねて実験していかないと…!
せっかく面接で、か細く維持していたコミュ力がまた下がるのは必至なので、また何らかの新しいコミュニティに入りたいと思います。現在探し中。